明治期の祝祭日については、明治6年に布告された「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」という法律によって規定されています。
大正元年から昭和23年までは、大正元年に出られた勅令「休日ニ関スル件」によって規定されていました。
これらの法律により規定されている祝祭日は、以下の通りです。
【祝日】
新年宴会
紀元節
天長節
天長節祝日
明治節
【祭日】
元始祭
公明天皇祭
春季皇霊祭
神武天皇祭
明治天皇祭
神嘗祭
秋季皇霊祭
新嘗祭
大正天皇祭
また、法律では規定されていないものの、習慣として「四方節」は祝日として扱われていました。
法律(「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」および「休日ニ関スル件」)による規定はありませんが、慣習により祝日とされていました。現在は「四方拝」と呼ばれ、一年の最初に行われる宮中行事です。四方節が始まったのは、平安時代初期の嵯峨天皇の頃だとされています。その後宇多天皇の時代に儀式として定着したようで、「宇多...
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明治6年の「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」制定当初から祝日と定められています。同法律は大正元年に廃止となりましたが、同年に制定された「休日ニ關スル件」においても、祝日とされています。昭和23年の「国民の祝日に関する法律」では、祝日から外されました。新年宴会は、新年の到来を祝う宮中の宴会です。奈良時代か...
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明治6年の「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」制定当初から祝日と定められています。同法律は大正元年に廃止となりましたが、同年に制定された「休日ニ關スル件」においても、祝日とされています。昭和23年の「国民の祝日に関する法律」では、祝日から外されましたが、昭和42年の同法改正により「建国記念の日」として、2...
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「天長節」とは、天皇誕生日のことです。明治期明治6年の「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」制定当初から、明治天皇の誕生日である11月3日が「天長節」として祝日として定められています。大正期大正元年9月の「休日ニ関スル件」制定時には、大正天皇の誕生日である8月31日に移動し、11月3日は昭和2年の同法改正に...
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大正2年の「休日ニ関スル件」改正により10月31日が「天長節祝日」という名称の祝日なりました。これは、大正天皇の誕生日である8月31日は暑さが厳しく式典を行うことが困難であったため、2か月後に式典を行うための祝日として新たに設けられました。「天長節」自体は8月31日のままで、この日も祝日となっていま...
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「明治節」とは、明治天皇の誕生日で、昭和2年の「休日ニ関スル件」改正により祝日となりました。大正14年に明治天皇の偉業を永遠に伝えていくため、明治天皇の誕生日であった11月3日を「明治節」という名称で祝日にすべく請願運動が行われ、2万人の署名が帝国議会に提出されました。衆議院では満場一致で可決された...
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明治6年の「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」制定当初から祭日と定められています。同法律は大正元年に廃止となりましたが、同年に制定された「休日ニ關スル件」においても、祭日とされています。昭和23年の「国民の祝日に関する法律」では休日ではなくなりましたが、宮中では現在も元始祭がおこなわれています。「元始祭」...
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明治6年の「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」制定当初から祭日と定められています。「孝明天皇祭」は明治天皇時代の「先帝祭」です。「先帝祭」とは、先代の天皇が崩御された日を祭る宮中祭祀の一つで大祭です。明治天皇の先帝である孝明天皇は1月30日に崩御されたため、この日が祭日になりました。明治天皇が崩御されたの...
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明治11年の「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」改正により祭日となりました。「春季皇霊祭」は「秋季皇霊祭」とともに歴代の天皇や主たる皇族の霊を祭る宮中祭祀の一つで大祭です。同法律は大正元年に廃止となりましたが、同年に制定された「休日ニ關スル件」においても、祭日とされています。昭和23年の「国民の祝日に関す...
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明治6年の「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」制定当初から祭日と定められています。同法律は大正元年に廃止となりましたが、同年に制定された「休日ニ關スル件」においても、祭日とされています。昭和23年の「国民の祝日に関する法律」で休日ではなくなりましたが、宮中では現在も神武天皇祭がおこなわれています。「神武天...
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大正元年の「休日ニ關スル件」制定当初より祭日と定められています。「明治天皇祭」は大正天皇時代の「先帝祭」です。「先帝祭」とは、先代の天皇が崩御された日を祭る宮中祭祀の一つで、大祭です。大正天皇の先帝である明治天皇は7月30日に崩御されたため、この日が祭日になりました。大正天皇が崩御されたのに伴い、こ...
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明治11年の「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」改正により祭日となりました。「秋季皇霊祭」は「春季皇霊祭」とともに歴代の天皇や主たる皇族の霊を祭る宮中祭祀の一つで大祭です。同法律は大正元年に廃止となりましたが、同年に制定された「休日ニ關スル件」においても、祭日とされています。昭和23年の「国民の祝日に関す...
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明治6年の「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」制定当初から祭日と定められています。同法律は大正元年に廃止となりましたが、同年に制定された「休日ニ關スル件」においても、祭日とされています。昭和23年の「国民の祝日に関する法律」では「新嘗祭」としての祭日ではなくなりましたが、「勤労感謝の日」として国民の休日と...
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昭和2年の「休日ニ關スル件」改正により祭日と定められました。「大正天皇祭」は昭和天皇時代の「先帝祭」です。「先帝祭」とは、先代の天皇が崩御された日を祭る宮中祭祀の一つで大祭です。昭和天皇の先帝である大正天皇は12月25日に崩御されたため、この日が祭日になりました。昭和23年の「国民の祝日に関する法律...
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明治6年の「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」制定当初から祭日と定められています。制定当初は9月17日でしたが、この時期では稲穂の生育が不十分であるため、明治12年の同法改正により、一月後の10月17日に変更されました。同法律は大正元年に廃止となりましたが、同年に制定された「休日ニ關スル件」においても、祭...
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